はじめてはみたものの途中で挫折してしまう、その代表格のような日記…
でも最近は、日記にまつわる専門店ができたり(下北沢にある「日記屋 月日」)、映画のモチーフとなったり(『Ryuichi Sakamoto: Diaries』)、日記そのものが書籍化したり(『石垣りんの手帳ー1957から1998年の日記ー』)、ひそかな賑わいを感じているのはぼくだけではないと思います。『蜻蛉日記』や『アンネの日記』といった日記文学もありますね。Journalingというノート術(「書く瞑想」という考え方)が出てきているのも明るい兆し。過ぎ去った今日という1日を一瞬でも振り返る、そのきっかけとなれるのは、やっぱり日記以外にないのではないでしょうか。
SNSをはじめとしたデジタル空間(=共同体の空間)には、玉石混交のテキストや写真、動画が飛び交っていて、現代は人類史上もっとも言葉が氾濫している時代とも言えます。かつてないほどに言葉は浪費され、雲散霧消している…一方、日記は私的空間で自分自身に向けた言葉を紡ぐという点で、SNSの対極として再評価されてきている。もっと言うと、「日記的なるもの」がいま求められているような気もしています。衣食住をはじめとした暮らしのすべて、その輪郭を捕まえたいというムード。写真では記録できない、目に見えないものへ思考を馳せたいという心持ち。そう、「日記的なるもの」はていねいな暮らしを纏う…もしかすると、日記はモノや行為ではなく、ライフスタイルとか美意識、時間に対するまなざしそのものなのかも。それにしても、日記を綴るというのは、何とぜいたくな時間の流れでしょう。まさに「明窓浄几 筆硯紙墨(めいそうじょうき ひっけんしぼく)」です。
ひとくちに日記と言っても、そのスタイルや書き方は多様化しています。書く時間だって自由。毎日つけなくてもいいし(1週間分をまとめて書くのでも、1年に数回だけ書くのでもOK)、朝や昼に書いてもいい。書く分量だってどうぞ気ままに。表紙が革張りの日記帳に万年筆でゆっくりもいいし、ノートの隙間にささっと鉛筆で走り書きするのも立派。もしこれから日記をはじめようとするなら、手帳(日記帳ではなく!)を買って、小さなスペースに短く書くスタイルをおすすめします。1日たったひとことだけの、“ONE WORD DIARY”というのはいかがでしょう。
もし挫折したって、また何度でもはじめればいいですよ。
Write the world!
手で書くこと(明窓浄几 筆硯紙墨)


